君が今考えていることを当ててあげましょうか。
ずばり『僕を殺さなければならなかった理由』でしょう。
確かにここには食べ物も無いし、飲み水だって無い。
あなたが生き長らえるには僕の肉体を食べ僕の血液を摂取するしか、きっと手段は無かった。
だから君は思うのでしょうね。『こいつを殺したのは俺が生きるためであり、仕方が無かった』と。
でも、それって実は違うんですよ。
仕方の無い殺人なんて無いんです。君は百パーセント君の悪意で。
君自身の悪意によって、僕は殺されたのです。
__________________________
【chapter1:赤褐色】
朝から何かが妙だった。昨日までの残暑はなぜか消え去っている。
秋の気候の移り変わりは激しいので、さしずめ気に留めることでもないだろうとは、僕は、ルーク.トライトンにはどういうわけか思えなかった。
妙といえば、それは天気だけに留まらない。
毎朝家の窓を開けると聞こえる近所の小学生たちの声も、今日はなぜか聞こえない。
いつも僕を起こしに来る父さんも、一向に現れる気配が無い。
今日僕がいつまでたっても部屋から出ないのは、父さんが起こしに来るのを待っているということもあった。
「……どうしたんだろう」
このまま待っていても埓があかないと思い、僕は部屋のドアを開けリビングへ向かった。
そこにも、また違和感があった。
誰もいないのだ。父さんも、母さんも。
「……なにかが……おかしい」
しかし冷静になって考えてみる。人間、落ち着きが大切だ。
普段自分から進んで父母にコンタクトを取りに行くような子供ではないこの僕がいざ姿が消えたと分かった途端に右往左往し始めるのは何だか人間としての底が浅いように思われた。
どうせ近所の集まりか何かだろう。そうでなくとも外出中というのだけは確かなはずだ。
なぜかというとまず玄関に父さん母さんの靴が無い。これだけでも判断材料としては申し分ないのだが、これに加えて父さんの上着が無い。
これで二人の外出はほぼ確定である。
「まあいいや。シャワー浴びてご飯食べて、先生のところへ行こう」
不安が解消されたせいか、幾分足並みも軽くなった。
しかし洗面所に入った瞬間、またしても違和感が僕をルークを襲った。
いやこの場合は違和感というよりもダイレクトなものだった。
異臭。何かが腐ったような異臭がルークの鼻に飛び込んできたのだ。
「うっ……なんだこれ」
浴槽の中に何やらブヨブヨした物体が浮かんでいる。異臭の原因は恐らくこれと思われた。
物体の周りには濃い緑の藻のようなものがプカプカ漂っており、苔の盆栽を連想させた。
「まったく、勘弁してくれよ……誰が片付けると……」
その刹那、ルークの動きが止まる。
浴槽に浮かぶ物体が何やら人の様なかたちをしていることに気がついたからだ。
「え、これ……これ……」
よく見ると藻のように浮かぶこれらの物体が生肉のように見えてきた。
というかそれは緑色に腐敗した内臓だった。
「え……え…………え……」
恐る恐る浴槽に漂う大きな物体に手をかけ、顔と思われる箇所をこちらに向かせてみた。
そして、ルークをこの上ない後悔が襲った。
「うわああぁぁあぁああああああ!」
浴槽に浮かんでいたのはルークの父親、クラークのドロドロに腐敗した遺体だった。 2015/09/22 07:43
[2]サン☆
父さんの腐乱死体を発見して僕が真っ先にとった行動は涙を流すことでも嗚咽をもらすことでもなく浴槽に蓋をすることだった。
案外こんなときの人間の行動なんて分からないもので僕はただその作業に夢中になった。
それが死人に対する礼儀とでも思ったのか、それともただ単に腐乱臭を近所に撒き散らしたくなかっただけなのか。その問いに対しては誰も答えてくれないし、恐らく僕も分からない。
もしかしたら、僕は父さんの死を受け止めきれず、死体を隠してしまえば死んだ事実が葬られるとでも思ったのかも知れなかった。
こんな自分自身の感情すらまともに整理できないような、自分で自分の世話を見ることもできないような、僕のようなガキを残して……。
「うっ……父さ……父さん………うぅ……」
いい加減にその泣き顔を上げろルークトライトン。
僕は誰の弟子なのだ。自称英国紳士を謳いレイトン先生と色んな修羅場をくぐり抜けてきたじゃあないか。
「ぐっ……冷静になれよ僕……」
今僕がすべきことは、メソメソと立ち往生することなんかじゃあない。
明らかに異常なのだ。
少し落ち着いて考えてみればすぐに気づく。
昨晩、僕は生きた父さんに会っている。会話もしている。
僕が床に就いた直後に死んだとしても、流石にここまで死体の腐乱が進みはしないだろう。
考えろルーク。常識に捕らわれるな。自然に放置された死体がここまで腐るなんて有り得ない。
ならばどうすれば有り得るのだ?
父さんにどんなことが起きれば、この短時間で死体を腐らせることができるのだ?
「人為的……父さんは、誰かに殺されたということなのか……?」
僕の脳裏は怒りと悲しみに満ち溢れる。
もしもこれが殺人だというのなら、僕は絶対に犯人を見つけ出す。
父さんを殺した犯人を必ずこの手で検挙する。
絶対、絶対に。
「父さん……だけど少しだけ待っててね。本当に、本当に少しだけ。たぶんあと3分くらい」
僕は涙でクシャクシャになった顔を抱き抱えてその場にしゃがみ込む。
「あと少し、あと少しで僕は立ち上がるから、自分の足で歩きだすから」
小刻みに、嗚咽混じりの鳴き声が家の中に染み渡る。
「だからあと少しだけ………泣かせてください」
家の外は、今もまだ静かだった。
2015/09/23 16:34