レイトン教授の攻略情報

サン☆

父さんの腐乱死体を発見して僕が真っ先にとった行動は涙を流すことでも嗚咽をもらすことでもなく浴槽に蓋をすることだった。

案外こんなときの人間の行動なんて分からないもので僕はただその作業に夢中になった。

それが死人に対する礼儀とでも思ったのか、それともただ単に腐乱臭を近所に撒き散らしたくなかっただけなのか。その問いに対しては誰も答えてくれないし、恐らく僕も分からない。

もしかしたら、僕は父さんの死を受け止めきれず、死体を隠してしまえば死んだ事実が葬られるとでも思ったのかも知れなかった。

こんな自分自身の感情すらまともに整理できないような、自分で自分の世話を見ることもできないような、僕のようなガキを残して……。

「うっ……父さ……父さん………うぅ……」

いい加減にその泣き顔を上げろルークトライトン。

僕は誰の弟子なのだ。自称英国紳士を謳いレイトン先生と色んな修羅場をくぐり抜けてきたじゃあないか。

「ぐっ……冷静になれよ僕……」

今僕がすべきことは、メソメソと立ち往生することなんかじゃあない。

明らかに異常なのだ。

少し落ち着いて考えてみればすぐに気づく。

昨晩、僕は生きた父さんに会っている。会話もしている。

僕が床に就いた直後に死んだとしても、流石にここまで死体の腐乱が進みはしないだろう。

考えろルーク。常識に捕らわれるな。自然に放置された死体がここまで腐るなんて有り得ない。

ならばどうすれば有り得るのだ？

父さんにどんなことが起きれば、この短時間で死体を腐らせることができるのだ？

「人為的……父さんは、誰かに殺されたということなのか……？」

僕の脳裏は怒りと悲しみに満ち溢れる。

もしもこれが殺人だというのなら、僕は絶対に犯人を見つけ出す。

父さんを殺した犯人を必ずこの手で検挙する。

絶対、絶対に。

「父さん……だけど少しだけ待っててね。本当に、本当に少しだけ。たぶんあと3分くらい」

僕は涙でクシャクシャになった顔を抱き抱えてその場にしゃがみ込む。

「あと少し、あと少しで僕は立ち上がるから、自分の足で歩きだすから」

小刻みに、嗚咽混じりの鳴き声が家の中に染み渡る。

「だからあと少しだけ………泣かせてください」

家の外は、今もまだ静かだった。

2015-09-23 16:34:27

サン☆

[1-2]

どうにもロンドン市内が殺風景だなあと感じたのは今日の早朝からだった。

殺風景というのは景色が乏しいという意味合いではなく人のほうだ。人の数が少なすぎる。今までいかに人混みが景色の一部と同化していたのかを痛感させられる。

人の居ない写真は幾分栄えないものだなあと、レミ.アルタワは思うのだった。

「せっかく非番をもらったというのに……なんかテンションあがんないなあ」

お国の為に日々尽力するスコットランドヤードに休暇などはそうそうあるものではなく、丸一日の休暇を得るにもなかなか骨が折れるのである。

今まで趣味に留めていた写真を仕事にしたいと思い始めたのはそう最近のことではない。

警察稼業を疎かにしてしまうことが不安で今までは率先して動くことができずにいた彼女であったが、ある写真家の生い立ちに感銘を受け、たまの休みにはこうしてポートレートを作成すべくロンドン各所を練り歩いているのだった。

人のために生きていきたいと願っていた彼女にとって、警察と写真家はどこか通じる箇所があったのだろう。

副業で写真に触れていくという決断はとても勇気のいるものであったが、それは彼女なりに考え抜いてだした答えであった。

「おうレミ。こんなところにいたのか」

突如後ろから声を掛けられる。振り返ると、そこには見慣れた人物が立っていた。

「あ、グロスキー警部。お疲れ様です」

「どうだ、非番は謳歌しているか？俺はこの後また市内をひとっ走りしてくる予定だが」

「警部は休みも仕事もあまり変わりませんね」

レミは苦笑しながらそういった。

「それにしても今日は妙に人が少ないな。まあおかげでトレーニングは捗るのだが……」

グロスキーはランニングで火照った体を冷やすため口からミネラルウォーターを流し込む。

「ええ、私も少しおかしいなと。向こうの大通りの方にはまだ結構な人数がいるのですが……」

「ふむ……まあ俺の考え過ぎか。じゃあレミ、体には気をつけろよ」

グロスキーはレミに背を向けまた颯爽と走り出した。

「はい。警部もトレーニング頑張ってくださ」

ゴキッ

レミの脳裏に嫌な音が響く。なんだこれは。

目の前のグロスキーの両足が折れた。そしてそのまま倒れこむ。

「け、警部っ！大丈夫ですか？」

さっきとはみる影もなく、グロスキーの顔がドロドロに溶けていく。

「レ………ミ………ぅ………」

「警部っ！警部っ！しっかり……しっかりしてください警部！」

たくましい胸筋を誇っていたその身体は途端にどす黒く染まり、そのまま皮膚を肋骨が突き破った。

あらわになったその骨も、次第に茶色く侵食されていく。まるでウジが湧いているようだった。

地面に垂れ流しになった内臓もブクブクと泡を放ち、急速で蒸発していく。

おびただしい量の血液が辺りに散漫し、広場は地獄絵図と化した。

「誰かっ！誰かいませんか！救急車を！救急車を呼んでください！早く！警部が死……！」

再びグロスキーの顔に目をやると、レミも思わず顔をしかめた。

そこにあるのは既に顔ではなく、虫が食ったような頭蓋骨だけであった。

放心した彼女の手からカメラがこぼれ落ちた。

血と涙に浸されたカメラは、きっと使い物にはならなかった。

2015-09-26 08:00:04

サン☆

家から出たものの何をすればいいか分からず立ち往生するルーク君挿絵（微シリアスver）

2015-09-27 10:49:01

サン☆

[1-3]

異変に気づいたのは彼が家を出て数メートルばかり進んだ地点だった。

「うっうわ……うわああ！」

彼、ルーク.トライトンの右手小指が消失していた。いや、腐り落ちていた。

根元からゴッソリと、綺麗に持ってかれていた。

傷を見つけた後はもう遅く、絶え間ない激痛がルークを襲った。

「クッ……グククッ……ち、畜生……」

朝からそうだ。わけのわからない出来事が多すぎる。

一体僕の身に何が起こったのだ？

しかし、遂に事態も張り詰めてきたということだろうか。常識では図れないことが多々目に付くようになった。

例えば今のこれがそうだ。

何の前触れもなく小指が腐り落ちるなんて有り得ない。

僕は何か悪い夢でも見ているのではないか、そんなことを考えてしまうのもいよいよ無理からぬ話だ。

「とにかく、全ては先生の元に着いてからだ。グレッセンヘラーカレッジまでは後……」

そのとき、ルークの右肩に激痛が走った。何か針のようなもので刺されたようだ。

「グフッ……！」

「やあやあやあ、誰かと思ったらルーク君じゃないか。奇遇だね」

「おっ……お前は……」

木の陰から現れたのはルークの家の近所に住む青年、ドルタスだった。

ルークよりも3つばかり年上で、暇さえあれば猫や昆虫を殺して廻っている。

「いやあ、何だか今日はいい日だね。なぜって毎日うるさいガキ共や近所の年寄りがいないのだから」

ドルタスはボサボサに伸びた前髪を掻きあげながら笑った。

「お陰でお前のことを存分に虐めてやれるなあ。一回、人間をダーツの的にして遊んでみたかったんだ」

ルークは慌てて肩の針を引き抜くと、なるほどそれは確かにダーツの矢であった。

「どけドルタス。僕は今から先生のところに行かなければいけないんだ」

「おい、なに年上に向かってタメ口訊いてんだよ。ブッ殺すぞ」

ドルタスは腰に提げたショルダーバッグからダーツの矢を何本も取り出し、ルークに向かって投げ出した。

数が多いせいか避けきることができず、ルークの左太もも、右脇腹は哀れ矢の餌食となった。

「グッ……ぐがぁぁああぁぁぁあああぁああッ……！」

「ハハハハ、教育だよ教育。何が先生のところだ、そんなとこ行かせるかよバーカ」

いくら助けを呼んだところで、この人の少ない森の中では無駄骨に終わるだろう。

ならばこの場を切り抜ける手段はたったひとつだ。ドルタスを倒すのだ。

年が3つ離れているために体も腕力もドルタスに劣るルークであったが、勝ちを確実に誇れることが1つあった。

それは考えることである。

ドルタスは考えることに対し怠慢だが、ルークはそれに横着しない。

ただ考える。人間は、考えることをやめたら死んでしまうのだから。

考えに考え抜いて常に冷静な行動を起こせる点に置いてのみ、僕は他者より長けている。

絶対に負けない自信がある。

「……ドルタス、お前の投げたダーツの矢、僕に渡してしまったのは失敗だったな」

「あ、ルーク君それ投げんの？ああどーぞどーぞ。ホラホラ、ここんとこ、よーく狙ってね～」

ドルタスは自分の頬を指差し露骨にルークを挑発する。

「………」

これが考える者と考えざる者の違いである。ルークは……。

先程引き抜いたダーツの矢を、自分の胸元目掛けて突き刺した。

「グハッ……カハッ……カハッ……！」

どす黒い吐血がルークの口からポタポタと垂れる。

「うわっルーク君が狂っちゃった。これはお兄さんの手には負えないな～」

「僕の勝ちだドルタス」

ルークはドルタスの一瞬の不意を突きドルタスの元へ駆け寄った。

そして口内にパンパンに溜まった血液を、ドルタス目掛けて吐きかけた。

「ぐわっ！てめえ、汚ねえっ………き……た……………」

そのときだった。

ドルタスの身体が、頭から順番に溶け出した。

「な………なんだ、これ……なんだ…………ルーク……てめ」

白子のような脳味噌が剥き出しになったかと思うと、次の瞬間には腐り落ちて消失した。

目玉がずり落ちたかと思ったときには、既に首から上にはどんな器官も存在していなかった。

ドルタスの身体は段々に小さくなり、やがて全身が腐り果てた。

「………やっぱりか、そうじゃあないかとは思っていたけれど……」

ルークは負傷した箇所を押さえながら、小さくため息を吐いた。

「どうやら今、このロンドンでは水分に触れた瞬間身体が腐っていくらしい」

そう、何の感情も込めずに呟いた。

2015-09-30 15:20:10

サン☆

[1-4]

一体なぜ今ロンドンでそのような不可解な出来事が起きているのかは定かではない。

水分に触れてはいけないということは、必然風呂も入れなければ（恐らくこれが父さんの死因だ）歯を磨くことも、手を洗うこともできないはずだ。

それとこの辺りの線引きは徐々に検証していけばいい問題であるのかも知れないが、自分の体内において生成される水分は果たしてどのように分類されるのだろうか。

手近なところから言ってしまえば先程ドルタスを撃退した際の血液だ。

あの血液は僕の体からつくられたものである。必然吐き出す際に僕の口内に触れている。

今のところ僕の体に大きな変化、腐敗が見られないところから察するに、恐らくその辺はセーフということなのだろう。

あと微妙に用心しなければならないのは汗だ。

汗も血液と同様に体から生成される水分であるが、一度体から離れたもの――例えば顔から垂れた汗が腕に付着したような場合はどうなるのだろう。

確認してみたいところだが、生憎そんな勇気は僕には無い。

傍らに倒れるドルタスの死体を用いどうにか検証できないものかと画策したが、彼の生命活動は完全に停止しており、というかそもそも全身は甚だしく欠損し既に人の形を留めていなかったので検証できるか否か等の問題は杞憂に終わった。

いやこの場合は杞憂というよりただの期待はずれというべきか。

「……ふう」

それにしても困ったことになった。

この状況に関してはもういい。こうなってしまったものは仕方がない。

郷に入りては郷に従えというやつだ。禁忌に水分を置くというのならば僕はそのルールに適応してみせよう。

だが急場急場を凌ぐだけでは対処できない問題がいくつかある。

風呂に入れない歯を磨けない手が洗えないなどといった生理的な不愉快はこの際目を瞑ってしまっても問題ないだろう。

それより重要なこととして天候、雨が挙げられる。

槍が降ろうが――という表現があるが、今回の場合において雨は槍以上の脅威だろう。

タイミングが悪ければほぼ全員の住民が全滅してしまう。

それと、これは最も重要なことと言っても差し支えないレベルの話であるのだが、飲み水の確保だ。

というか確保しようがないのである。なんせ水を体内に含んではならないのだから。

点滴のように体に直接水を送り込むのも恐らくNGだろう。

人間は、水無しで生きられる限界が確か……3日くらいだった筈だ。

もしも今回の一件に黒幕、こんな異常事態を引き起こした張本人がいるのなら（どんな手を使ったのかは想像もつかないが）、そのタイムリミットが訪れる前に何とかしてそいつを叩かねばならないということか。

「……レイトン先生、どうか無事でいてくださいよ」

ルークはようやく森を抜け、グレッセンヘラーカレッジへと走り出した。

2015-10-03 23:31:20

サン☆

[1-5]

体を捻るだけで激痛が走る。これが世に言うギックリ腰か。

「まさか実在するなんてね……あ痛ててて」

グレッセンヘラーカレッジで考古学の授業を請負い、自他共に認めるナゾ好き英国紳士。

エルシャール.レイトンは、苦悶の表情でそう呟いた。

「うっ、歳は取りたくないものだ……少し体を動かしただけでこの始末とは」

「もうっレイトン先生、おじいちゃんじゃないんだから。運動不足ですよ」

レイトンの担当する講義の生徒、ケイン.アースクエラはそう一喝した。

彼女は時折、暇を見つけてはこうしてレイトンの部屋の掃除へ訪れるのだった。

訳のわからないほど乱雑していた棚や机は、彼女のお陰でなんとか見る影を取り戻せていた。

「ふぅ……ありがとうケイン。私はいい生徒を持ったものだなあ」

「どうもありがとうございます」

ケインは苦笑しながら言った。

「それじゃあレイトン先生、課題のレポート、ここに置いときますね」

「うん。ああそういえばケイン。私の講義を受講しているのは君と、あと何人だったかな」

「えっ……と、確か7人ですね。サリス君とかエマちゃんとか」

レイトンは一言そうかと呟いた。相変わらず目はしんどそうだった。

「ではレイトン先生。私はこれで」

「あっちょっと待ってケイン。悪いけど湿布を張り替えてもらえないかい？」

「うっ……分かりました。医務室から取ってくるので待っててください」

ケインはレイトンの研究室のドアを開け、廊下に出た。

「まったく世話の焼ける先生だなあ」

医務室は確か廊下を突き当たって右だった筈だ。校内で怪我をしたりする機会はあまりないので、どうにも記憶が曖昧だった。

確か最後に医務室を訪れたのは入学式後のオリエンテーションの時ではなかったか。

そんなことを考えていると、向こうから見覚えのある顔の少年が走ってきた。

「あ、きみは確かレイトン先生の息子さんの……」

「むっ……息子じゃないです！ルーク.トライトン、先生の一番弟子です」

「ああ、そうだったっけ、こんな朝早くからどうしたの？」

「ケインさん、今すぐに水……いや学園内のすべての水分を取り除いてください！」

「えっ……え？ルーク君、それはどういうこと……」

「お願いします！大至急！僕は今から先生にこのことを伝えにいくので！」

まくし立てるようにそう言うと、ルークは研究室の方へ駆けていった。

「なんだったんだろう」

ケインは再び、医務室へ向けて歩を進めだす。

そういえば、ルーク君の服には随分べっとり血が付いていたけれど、喧嘩かな。

「くわばらくわばら」

ケインは何も感じなかった。

2015-10-04 09:13:13

サン☆

ケインちゃん

2015-10-04 09:14:15

サン☆

[1-6]

「うわあああああああああああああああ」

人の亡骸を見た経験などは恐らく一般人の比ではない。

惨たらしい死体なんてざらにあるし、この間はかの有名な死体牧場まで足を運んだほどだ。

それでも、いやそんな、レミ.アルタワという女性だからこそ、場数をいいやいいやで踏み過ぎ感覚が鈍り気味だった彼女だからこそ、自分の上司であり側近が死んだ現実を受け入れるのにはかなりの時間を要するのだった。

「うわああああああああああ！あああああああああああ！」

これは、人の死体ではない。

きっと化物の死体だ。

「うわああああああ！ああああああ！ああああああああああ」

2015-10-18 20:50:19

サン☆

【chapter2:腐敗を取り巻く人びと】

[2-1]

サリス.ハバマンは用心深い。

その用心深さは他を圧倒しており、芸術的とさえいえる。

用心ならぬ狂心の域にまで達している。

彼をそんな風にしてしまった主な要因はといえば、ひとえに彼の幼少期の苦い生活苦のせいだと言わざるを得ないのだが、例えそれを差し置いても、彼の用心深さは、とても常人離れしている。

彼のことを語らねばならぬだろう。

念のため、なるたけ公にせぬよう戸締りは万全を期させてもらうが。

聞き耳を立てるものなどいないと思うが、用心に越したことはない。

2015-10-27 20:23:52

サン☆

[2-2]

サリス・ハバマンはグレッセンヘラーカレッジ研究科の二回生である。

この学校の1つ上の先輩からの紹介で、さして興味もない考古学をエルシャール・レイトンの元で学んでいる。元来勉強そのものは好きな方ではあった。優劣がキチンと数字で示され努力が比較的目に見えやすい点、それひとつに没頭していられる点。

加えて、圧倒的な暴力から自身を守れる点などが、その言葉の裏付けとして上げられた。

サリスは齢9歳の頃、父親から虐待を受けていた。

いや、実際には実の父親ではなく実母の再婚相手だ。その男は、真面目で誠実そうな顔をしていながら（母はそんな所に惹かれたらしい）、胸中悪意の固まりのような男だった。

サリスの母の名義でした借金を元手に、競艇で負けに負け借金を膨らませた。

母親は昼のパートだけでは金が足りず、朝から晩まで働き詰め。サリスにあまり仕事の内容を語りたがらなかった点を踏まえると、まあ、決して聞こえのいい仕事ばかりではなかったのだろう。

その間サリスの父親は、働きもせずギャンブルに没頭していった。勝ち負けに関係なくサリスの全身に暴力を浴びせ、耳にハサミを突っ込まれ鼓膜を破られたこともあった。

どうやら父親にはそっちの気質もあったようで。サリスはよく家で全裸にされ性的奉仕を強いられていた。

父親は、俺がいくまで、肛門を緩めるなといった。

少しでも緩めたら、お前と母親を犯して殺すといった。

9歳の子供に向かって。

サリスはそれでも、ずっと黙って耐えていた。自分が根を上げて万が一死んだりでもしたら、母が悲しむどころか再婚相手の暴力が母に向けられるのも分かっていたからだ。

自分が何をすれば何をされて、どのような態度で振る舞えばどのような仕打ちが返ってくるのかを、サリスは文字通り身を挺して学んだ。人の数倍注意深く、なにものよりも用心深く。学び続けた。

しかしそれほど間を置かず、サリスの父親は少々やばい筋から借金をして家に帰ってきた。そして淡々と言うのだった。

サリスの母親を身売りさせろと。

当然、母は拒んだ。それでもその再婚相手は、母の髪を掴み強引に連れて行こうとした。頭が。

「あ……？なんつった？」

サリスが何かを呟いたようだ。どうやらそれが聞こえたらしい。

「お前は、頭が……悪い」

サリスは筆箱から取り出したコンパスを、全力で父の背中に突き立てた。

「んあああぁぐっ……！てっ、てめえ」

サリスは無表情だった。父がこちらを振り向いたが最後、サリスはコンパスの針を、父のヘソに突き立てた。

「んんんんんんんんんっんぐぐぐが」

「頭が」

またサリスは、無感情に呟いた。

「頭が……悪い」

父の顔面が穴だらけになる頃、サリスは、血の繋がらない父の亡骸をスゥッと見下ろし、母に向け言った。

「大丈夫、母さん。僕は頭がいい。僕が守ってあげる」

2018-07-31 16:01:31

サン☆

[2-3]

グレッセンヘラーカレッジの廊下は、心なしいつもよりも随分長く感じられた。ルークの身に纏う衣服は遠目にみてもかなり血塗られており、すれ違う生徒の反応がみな一様に怪訝であった。

「レイトン先生！」

「お、ルークじゃないか。どうしたんだい。そんなに息を切らせ……」

レイトンもまた、ルークの衣服に付着した大量の血から何かを感じ取ったのだろう。一瞬言葉を詰まらせ、ひと呼吸置いた後また話し始める。

「……一体、何があったんだい？」

「先生、父さん……父さんが……う、うわああああああん」

緊張の糸が切れたのだろうか。朝からたった一人で、孤独に数々の超常的状況を目の当たりにし、立ち向かってきたルークであったが、レイトンの顔を見た瞬間であった。唐突に涙を流し始めた。

「ルーク、大丈夫だ。大丈夫、大丈夫だよ……」

レイトンは、急いて事情を聞き出すこともせず、今はただ、目の前の助手を優しく抱きしめるのだった。

ルークの涙が付着した指先が、少し腐り始めていることを騒ぎ立てもせず、ただ、ひたすら、黙って助手の頭を撫でた……。

2018-08-02 15:28:55